何のために私はこんなに頑張っているのだろうと

ようやっと気が付いたのは今年のお正月でした。

「なんか勉強していないとバカになりそうだ。」とか、

「強制的に気分転換ができる。」とか、

勉強する(特に試験勉強する)目的を

自分でしゃべりながら、

もう一人の自分がそう呟いたのがわかった。

年金アドバイザー2級試験が終わって約10日。

受験勉強の終盤で、

「これが終わったらしばらくのんびりしようかな。」

とこの10年で初めて思った。

本読んだり、セミナーや研修に参加する勉強と違って、

受験勉強はストレスだからね。

この約10日間、

私はとても穏やかだ。

受験勉強をがんばっていなくても

私は私のままここにいていいのかもしれないと思うと

とても穏やかなんです。

何かの目的のために頑張っているときは、

充実もしているけれど、

私は人にもそれを求めてきたなあと思った。

相手にとっても随分窮屈な思いをさせたなあと思った。

私が、何かの目的のために頑張っているときに、

「がんばりやだね。」と言われると嬉しかったし、

「頑張り過ぎじゃない?」と心配されると、うるさく感じた。

あんまり人に頼らずに「がんばってきた」から、

得られたものももちろんある。

社会保険労務士の資格も含めて、

様々な資格がそれだ。

ただ、私の「がんばり」も底をついたかなと感じている。

底をつくまでがんばらないと分からないこともある。

今、なんだかとても穏やかだし、

試験勉強以外の勉強はとても自分を豊かにしてくれるし、

「ただここにいる私」もいいものだなと感じるし。

あと、もちろんどんなことも私が選んできたことではあるけれど、

偶然誘われるままにやってみたことや、

何時何時まで続けるとか決めずにやってきたことが長続きしていたりして、

導かれているというか、

自分の意思決定よりもっと大きなものに守られているというか、

そんなことも感じるんです。

しばらく、その大きなものに委ねてみようかなと思っています。

 

 

★2017年3月12日付中日新聞

貴戸理恵「『ただ在る』ことの大切さ」

を読んで思ったこと。

 

*春なので桜のブローチを買いました。(写真)